武蔵野稽古会傳 作法 細論 其之十二

そのほかの伝承 二


・重心の事


重心においては「嚢に重しを下げたる心持」(これは英信流の口伝であったか、不肖の別武術での口伝であったか、曖昧です)とし、これも古流武術にみられる重心の意識を下に置く心持と同義と考えます。

立ちながらの業においては重心が上がらぬよう、浮身の際は膝を抜き「落ちる」心持で移ります。


・呼吸の事


呼吸は武術にとって重要な要素です。

息を吸っている時の身体は陰であり、力は出せません。

息を吐いている時の身体は陽であり、最も強い力、動きが出来ます。

息を止めている時は筋肉が強張り、口伝に云う「足至り腰至り腕至り剣至る」の正しい力の伝達を阻害し、最も忌むべき居着きに繋がります。

当会では常の稽古において、業に入る間は二呼吸一服と口伝されています。

吸って、吐くまでを一呼吸とし、殊更深呼吸するのではなく常の呼吸で二呼吸し、心を静かにしたのち一服、つまり三呼吸目を吸い、吐き出す処から動き出します。

この口伝は即ち、陽の呼吸から業に入ることを示唆しているものと捉えています。

清田泰山師が初期に師事した山内派二十一代 川久保瀧次師は、呼吸法に関する研究をいくつか遺されており、古武術的にも呼吸法は重要とされる処です。


土佐系統の他派ではこの吐いている一呼吸で一本の業を行じ、息継ぎをしないとする処もありますが、不肖はそのような指導をされておらず、当会では息継ぎまで規定しておりません。

また、実戦であれば居合わせの術である以上、二呼吸一服などという悠長な間を以て襲われることもありません。

二呼吸一服はあくまで心身を律する、道としての稽古における心得と考えます。


・残心の事


武道では頻繁に聞く単語ですが、具体的に何を指すものか改めて記します。


武道では敵を斃した後、残心をとります。

スポーツのように一本取ったら終わりではなく、斃した敵の反撃に備える心構え、次に掛かってくる敵に対する心構えです。


居合の目付は色々ありますが、斃したのちの目付は「六尺先倒れた敵を見越す」という口伝があり、倒れた敵の反撃を警戒すると共に、周囲を見渡す遠山の目付です。


他派、他流においては斃した相手への「惻隠の情」を含む処もあるようですが、当会へは清田泰山師より、あくまでも「未だ戦闘中油断不可」の心持として伝えられています。


切り倒して残心を取ったあとも、居合では仕舞の所作でいくつも「残心」を取ります。

もし敵が突然反撃してきたら即応して請け、或いは弛し、止めを刺す心持にて行います。

ここで云う「残心」とは、所作の要所に間を取る事を指しますが、心持は「残心」と「残心」のあいだも絶えず残心のままです。

血振いの後、切先を倒れた敵につけ「残心」、踏み違えの足を引いた後、切先を外さず「残心」、正坐之部(初伝)では納刀で切先三寸が鯉口に収まった処で「残心」、鍔元五寸程度まで納刀した処から留まらずゆっくり納刀しつつ「残心」、膝を着き刀が収まった処で最後の「残心」を取ります。


この最後の残心は師より「一、一」と、「一」を二回ゆっくり数えると教わりました。

何故「イチ、ニ」ではないのか、師に問うたことはありませんでしたが、「一」の間で残心、もう一度「一」で残心、つまり二拍の時間残心するのではなく、残心ののち更に残心を行え、の意と捉えています。


更にこの残心は最後まで解かず、柄頭へ右手を送る間も敵が動けば即逆手に抜いて突き刺す(当流の古傳では手裏剣と云います)心持で行い、立ち上がり右手を柄から離し、元の位置に戻って左手を鞘から離し、居合腰を解いて初めて残心を終わりますが、やはり心持は常住坐臥、常に臨機応変の残心を本懐とします。



无拍

無雙直傳英信流 武蔵野稽古会

無雙直傳英信流 武蔵野稽古会は居合を本義とした古流武術 無雙直傳英信流を稽古する道場です

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