2021.03.24 23:22雑考 道としての居合 其之六一見すると刀踊りと同じような所作、それでは如何なる相違を以て形骸ならざる居合とするべきでしょうか。不肖は現代の居合に於いて、ただ形の表面をなぞるだけでは道としてその求むる処に及ばないものと考えます。当流に於いても現代では維新後の十七代大江正路師以降より宗家制が採られており、代が替わると業の末節が改変されるといった、ありがちな事態が何代も続...
2021.03.15 22:15雑考 道としての居合 其之五居合に於いて、武術としての本来的な目的とは即ち敵を制する事だと認識しています。この目的を達する為の手段、致し様を一向追求する修錬が、居合に於ける道の修行に当たると考えています。居合道として稽古される無雙直傳英信流の業は、少なくとも古傳にその業名を残す棒術、体術系統を除けば、本則的には刀の斬突により対手を制する形です。然し乍ら、現代社会にあ...